積極的な治療がもうできなくなり、これからは「より良い最期の迎え方」を模索する日々が始まった。
下腹部に違和感が出始めてからすぐ、沖縄は旧盆の時期をむかえ医療機関もお休みになるところが増えた。というより、コロナ騒ぎで気軽な受診はできなくなっていた。
旧盆で家族が集っていた時、母は少しだけ調子が悪そうでガチャピン*の中に沈み込んでいた。(注:Yogiboドロップ)
「下腹部と左脇腹が痛いから、旧盆明けに病院に行きたい。(緩和ケアの)入院の相談もしたい。」
と言ってきた。母には珍しく「予約外診療」となるので、私も休みを調整して付き添うことにした。
Index
黄疸の発現
旧盆で実家に帰った時、なんとなく母の顔色が黄色っぽいな?と気になった。
がしかし、自分も姉もわりと皮膚が黄色いほうなので(笑)気のせいか?あるいは蛍光灯の光のせいか?と思っていたが、義弟がとても気になったらしくとても心配していた。
彼の友人の母は黄疸が出てから3週間で亡くなってしまったらしく、お義母さんは大丈夫か?としきりに心配していたようだ。
自分はどういう最期を迎えたいのか? 相談しておくことの大切さ
旧盆の明け、二人でゆっくり歩いて病院に向かった。(徒歩15分程度の距離)
母はあの緊急手術の直後から、主治医の先生と自分はどういう最期を迎えたいのか?について話をしていたようで、治療方法もすべて自分で選択してきた。
そもそも昔から母は
「自分は管に繋がれてまでは長生きしたくない。延命治療などしないでほしい」
としきりに話をしており、このことは主治医の先生にもきちんと伝わっていた。
母は自分の体が今後、死に向かってどういう風に変化していくのか、ということが気になるようで緩和ケア病棟へ入院し、そこで最期を迎えたいと思っていたのでその件について先生に相談してみた。
母は自分の母親を長いこと介護した経験もあって、同じ思いを自分の娘たちにはさせたくないという思いも強いようだった。が!しかし。
コロナのせいで、緩和ケア病棟に入院したらもう二度と家族に会えないという
新型コロナウイルスを持ち込まないために、緩和ケア病棟に入ったが最期もう家族に会えるのは緩和ケア病棟から出る時=死ぬ時だ、ということで、実質緩和ケア病棟への新規入院は受付けていない状況だという。
実際すでに入院されている方々は、家族との面談はタブレット越しで時間も30分程度と限られているとのこと…。ひどい。コロナめ! なんてひどいんだ。
なんと残酷。当然「ああ、そうですか。それでもいいですよ。」と言い切れるわけもなく…。
先生は「そろそろ麻薬を使った痛みのコントロールに入りましょう。外来に通いながら痛みや不快感を取り除く治療をしていきましょう。」と鎮痛麻薬を処方してくれた。
初めての鎮痛麻薬(笑)
先生は末期がんの疼痛コントロールについてとても丁寧に説明してくださった。
- 麻薬とはいえ、まだ全然全然強くないレベルなので躊躇も我慢もせずに使うこと(母は我慢強い性格なのでそれが心配と言ってくれた。)
- 今後は仮にご飯が食べられなくなってきたとしても栄養点滴は控えます。(腹水やむくみがひどくなってかえって辛くなるため)
- 体調がつらくなって救急車を呼んだとしても、スッキリできる治療ができるわけではありません。
- 今回処方の鎮痛麻薬で痛みや不快のコントロールはかなりできるので心配しないように。
というような話をしてくれた。
まだロキソニンが効く程度の痛み
この時は痛みのレベルとしてまだロキソプロフェン(商品名:ロキソニン。普通の人でも抜歯後の「痛み止め」として処方してもらう鎮痛薬。)が効く程度だった。
痛みがあってもなくても1日3回の服用で痛みは消えるし楽になる、と言っていた。
それとは別に、麻薬系の鎮痛薬ナルラピド1mg(極めて最小単位である)を痛みが強いときに飲むようにと処方されたが、この段階では夜寝る前に1錠服用するか、しないかの程度で、ナルラピドの出番はほとんどなかった。
夜1錠服用するのも「痛み止め」的役割、というよりは抗不安的役割だったように思う。服用すると
「朝までぐっすり眠れる」
とのことだった。
ナルラピドの副作用
ナルラピドは即効性があるため痛みが出た時レスキュー薬として活躍する麻薬系の鎮痛剤。
- 悪心、嘔吐、めまい
- 傾眠
- 便秘
- 意識障害、錯乱、せん妄
- 食欲不振、味覚異常
- 依存性、振戦(ふるえ)
- 腹部不快感
- 閉尿
- 口が渇く
- 倦怠感
などなど。
突然最期の旅行の企画が持ち上がる
このころ、次女が急に「高級リゾートに泊まってラグジュアリーな時間を過ごそう」計画をぶち上げ、家族全員で2〜3日を高級リゾートで過ごすことが決まった。
母一番のお気に入りである次女が、内地から帰省するということになって、母に「大きな楽しみイベント」が一つできた。
(次女から)電話あり。2週間後来沖の予定。
一緒にホテルでのんびりしたいとの事。楽しみにしている。
母の日記より
旅行と言ってもコロナ禍なうえ、末期がん患者なので自宅から1時間以内で行ける範囲の高級リゾートホテルに行くのだ。
特に何もせず部屋でおしゃべりしながら過ごす、というのが目的だった。
鎮痛麻薬が初めて処方されてから1週間後、定期診察で旅行について相談してみることにした。
定期外来の採血結果に主治医、ビビる
定期外来の日は、また母と二人でゆっくり歩いて病院へ向かった。
定期外来では採血をして、その結果を待って診察が行われる。
採血結果を見て、主治医は開口一番
「きつくないですか?歩いてきたの?大丈夫?」
と言った。肝機能、腎機能が著しく低下していた。
腎機能の低下を受け、ロキソプロフェン(一般的な鎮痛剤)の服用は中止となり、より体に負担のかからない鎮痛薬アセトアミノフェン錠500mg(商品名:カロナールなど。子どもや老人用の解熱鎮痛剤)が処方された。
ナルサスの処方がスタート
そして新たな麻薬鎮痛剤のナルサス錠2mgが加わった。これも最小単位の軽い薬で毎朝1錠を服用することになった。
そして、母の全身状態が見かけによらずあまりに悪かったため、1週間後脱水改善の点滴と採血の予約が入った。
1週間後の外来も付き添うことにし、採血をしたあと2時間ほど点滴をして診察を待った。
妹と交代で母に付きそう。こういう時本当に「姉妹が多くてよかった」と心から思う。
前回の採血で母の全身状態が悪かったのは、脱水でカリウムの数値が高くなっていたことが原因だった。
確かに母は下腹部に痛みと違和感がではじめてから腹部膨満感が強く、食事は1回に1口〜5口程度、水もあまり飲んでいる様子がなかった。足のむくみも出始めていた。
脱水でカリウムの数値が高くなると、いつ心臓発作を起こしてもおかしくない、ことから主治医は気が気でなかったようだ。
食事が全くとれないときには、メイバランスを。
それから、食事が取れない場合は無理して取る必要もないが、脱水を気にしてポカリスエットを飲むよりは「メイバランス」を飲んでみてください。と進められた。
初めて聞いた「メイバランス」…。ドラッグストアに普通に売られてた。常温で…。気づかんわ。
メイバランスは味の種類が結構あって、母のお気に入りは「ヨーグルトテイスト」。「ミルクテイスト」の方はドタ甘くてあまり好きではないが、コーンスープ味はまあまあ、ということだった。
非常時の処置に関する同意書
この時、あわせて旅行について相談した。旅行については、行っても特に問題はないし、万が一何かあったらフツーに救急車を呼んでください、ということになった。
「まだ大丈夫だとは思うけど…」
と言いつつ、先生は「非常時の処置に関する同意書」をくれた。
万が一、救急車を呼ぶ事態が発生した際、この同意書を書いておかないと否が応でも救急隊による救命措置がとられ、
- 挿管&人工呼吸器
- AED
- 心臓マッサージ
などがもれなく行われるというので、望まない場合は同意書できちんと意思表示をしておきましょう、ということだった。
ナルサス2mgの副作用
ナルサスも麻薬系の鎮痛剤だが即効性があるナルラピドとはちがって、持続的に効く薬ということだった。
ナルサスの副作用は基本的にナルラピドと同じ。
ナルラピドもナルサスもどっちも麻薬なので
- 家族や他の人に絶対飲ませるなよ!
- 余って使わない場合には「要返却」!
- ゴミ箱とかそのへんにホイホイ捨てないで!
と、処方の際に薬剤師から指導があった。
病院から帰ったあと、母と「非常時の処置に関する同意書」を確認して署名を行った。