【父の闘病記】全ては右肩の激痛から始まった(6)

【父の闘病記】全ては右肩の激痛から始まった(6)

2017-12-21

先生方のご尽力と、アロママッサージの甲斐あってか、入院10日後あたりから、父の感染の数値(CRP)がようやく下がりはじめました。(って言ってもまだこの段階で25もあるので全然まだまだですが…)

先生からいよいよ「外科的処置を検討されては?」と提案された父。

なんて答えるかとハラハラしていたら…。

「外科処置お願いします」と即答!

一体どういう心境の変化なのでしょうか?

もう入院生活にほとほと嫌気がさしたのか?はたまた、アロマのおかげで前向きになり、勇気が湧いたのか?

いずれにせよ、とてもいい決断なので揺るがぬうちに日程を即決しました。

処置は経皮経肝的膿瘍ドレナージ

先生の説明によると、父の肝臓にはもともと「嚢胞」と呼ばれる袋がボコボコあって、おそらく目の荒い海綿のような状態になっているということでした。

その複数ある「嚢胞」のうちどれが感染してるかはある程度の予測しか立たない、と。

なので、めぼしい幾つかの「嚢胞」に皮膚の上からチューブを入れ、膿を出したのち洗浄を行う処置という説明でした。

処置の中で膿が全身に漏れ出し、全身性の感染を起こす危険性があることも説明がありました。

先生はとても丁寧に絵まで描いて説明してくださいましたが、父母は「うんうん」と頷いて聞いてはいるもののわかっているかどうかは不明でした。

先生の説明から2日後、処置が行われました。

行きはよいよい、帰りは…

処置室まで行きは点滴を押して歩いて入りました。まー心臓バクバクだったかもしれませんが…。

家族は外で1時間ほど待機。

帰りはというと、背を起こしたストレッチャーの上で父は放心状態となって帰ってきました。

「とっても痛かった…(´;ω;`)とてもとても。」とのこと。カワイソウに…。

あーでもヨカッタよ。父は痛みを感じないのだと思ってましたが、人並みの痛覚はあるようでした…。

放射線科の先生は「読みが当たった」というような晴れがましい顔で出てきました。

相当量の膿を排出したようです。

しかし、「膿」というのはなぜこんな禍々しい色をしているのでしょーか!?

例えるならそれは、雑巾を洗ったバケツの中の水の色。いや、濁りに濁った筆洗バケツの水の色。

父の腹からはまだドレーンチューブとバッグが連結されており、処置後もドンドコ膿が出てきます。

おそロシア…。

でも父は大きなモノと戦った充実感からか、安らかな顔で

「お腹の張りが良くなって、だいぶ楽になった」

と満足気でした。ヨカッタ。

あとは処置の傷が癒えるまで療養あるのみ…と思いきや、先生方にはさらなるモクロミがあったのでした…。

それは、一体…。つづく…。