そんなつもりはなかったけど、コロナのせいで母を自宅で看取ることになった話(7)。

そんなつもりはなかったけど、コロナのせいで母を自宅で看取ることになった話(7)。

全然関係ない話

コロナのせいで緩和ケア病棟に入院することもできなくなった末期がんの母。どうやら自宅で母を看取らねばならなくなったようだ。

さて、これからどうしよう? 無策のわたしたちに 主治医の先生は「訪問看護」や「訪問介護」を利用したほうがいい、と勧めてくれた。

ひとまず、「最期の旅行」を無事に終えてから考えよう、ということで2泊3日の高級リゾート宿泊を楽しむことにした。

内地に嫁いでいた姉2人が帰省することになり、家族全員が集まれたので折を見て今後のことについて相談した。

最期の旅行は大所帯に

ホテルの部屋ベランダから朝焼けを見る

母の最期の小旅行(といっても県内で非日常を味わうというものだが)は自宅からそれほど遠くない「百名伽藍」というリゾートホテルのショートステイだった。

1棟+数部屋を借りて、家族7人と義兄1人、義弟1人、孫3人、県外からわざわざ顔を見にやってきてくれた母の甥が加わり大所帯での宿泊となった。

宿泊中、母の姪とその息子夫婦も県外から訪ねてきてくれ、長いこと話をして過ごした。

母はソファの上が居心地がよく立ち座りが楽だ、ということで2泊3日の大半をソファの上で過ごした。

ソファの上でじっとしている母と家族が入れ替わり立ち替わり話をし、ゆったりとほぼ何もしない時を過ごした。

ホテルの豪勢な夕食は食べられないのでキャンセルして、朝ごはんだけを全員一緒に食べ母も結構頑張って食べた。

足のむくみと、閉尿と

ホテル滞在中から足のむくみと、閉尿の症状が出てきた。

夜中尿意を催すものの、トイレに行っても尿が少量しかでない、しかも色が濃い、ということだった。

少し前まで脱水気味で危なかったので、水と塩タブレットとメイバランスを交互にこまめに摂取するよう促していたが、尿が出ないのは気になった。

痛みのコントロールの方はずいぶんと感覚がつかめてきたようで、「ちょっと変だな?」と思うタイミングでナルラピドを服用し、痛みの発現を上手に予防できていた。

黄疸は日によって

無事2泊3日のショートステイは無事終わった。

なぜかホテルのマネージャーさんが我が家の事情を知り、チェックアウトの際に号泣で見送ってくださった(笑)。

ステイ中、マネージャーさんとは特に絡みもなく、はて?という感じだったが、とても感情豊かな素敵な人なのであろう。

ホテルは立地もサービスもよく、素敵な空間で母もとても満足していた。

空港に県外勢を見送りに行くこともできたが、母は少々疲れていたようで黄疸が強く出ており、白目がパッションフルーツのような真っ黄色になってしまっていた。

黄疸は日によって強く出たり、薄まったりしていて母の体調ともリンクしている様子だった。

白目がパッションフルーツのような黄色になるとさすがにビビる。

腹部膨満感のつらさにも痛み止めを

最期の旅行後、再び病院を受診した(これまで1週間おきのペース)。この時、お世話になる予定の訪問看護師さんも一緒に同席してくれた。

旅行から戻った母はひたすらだるいようで、ちょっと動くとすぐ息切れしてしまうため、ガチャピンの上でおとなしく過ごしていた。

熱は特にないが、体重が1週間に1kgのペースで増えていた。おそらく腹水のせいと思われる。それと血中酸素濃度も94%と低め。腹部が大きくなっていて肺に空気が入れにくい状態なのかも、と思った。

今一番つらい症状が体のだるさと腹部の膨満感でそれを主治医に相談すると、

「ナルラピドを今2錠/日しか飲んでいないみたいだけど5−6錠/日飲んでも大丈夫だから。お腹の膨満感も痛みの一種だから躊躇しないで飲んでください。」

と指導された。

ついでにナルサスも2mgが4mgへと増量となり、調子が悪い時訪問看護師さんに点滴してもらえるように点滴セットを1回分処方してもらった。

訪問看護ステーションに取り次いでもらう

病院のソーシャルワーカーに取り次いでもらい、ひとまず訪問看護の方の手続きをすることにした。訪問看護は医療保険を使えるので、希望すれば今すぐにでも利用できるのに対し、訪問介護は「介護保険」の申請をしなければ使えないからだ。

24時間対応の訪問看護ステーションを紹介してもらい、病院受診4日後に一旦自宅に来てもらうことになった。

腹部膨満感のツラさが薬でやや軽減

先生の「腹部膨満感も痛みの一種、躊躇せず痛み止めを服用せよ!」の指導が目からウロコだった様子で、母の疼痛コントロールは上達していった。

食事は毎日毎食ほんの少し(味見皿程度)しか食べられないが、意識して食べようとしているようだった。

朝4時半頃起きて、シャワーを浴びて身支度を整え、7時に朝ごはん+服薬といった日々のルーティンもまだこの頃はこなせていた。

食べ物は固形物が喉に落ちなくなっていて、味噌汁などの汁物がないと少しツラそうだった。それから塩気が苦く感じ美味しくないと言っていた。

離乳食の登場

お粥パックなどを買っていたが量が食べられないのでもったいなくて手を出せない様子だったので、離乳食を提案してみたところうまく行った。

最近は離乳食のラインナップも本当に豊富で、柔らかさのバリエーションやメニューも豊富でほんっと助かった。

人は死に近づくと子どもにかえる、というのを聞いたことがあったけどホントだなーと思った。

日によって腹水から胃がせり上がり食後吐いてしまうこともあったりで、食事は食べたいときに食べたいものを食べたい量だけ、というスタンスに変わった。

訪問看護師さんが自宅に来る

取り次いでもらっていた訪問看護師さんが自宅にきて、外来でもらっていた点滴をセットしてくれた。

ベッドまわりの壁、トイレの壁、洗面所の壁付近に点滴を吊るしておくフックを備え付けておいた。

看護師さんは点滴バッグに印をつけて、「このラインまで液が落ちたら連絡ください。抜針しにきます。」と言って次の現場に向かっていった。

母も訪問看護師さんが家に来てくれることになっただけで、随分ほっとした様子だった。

その夜、以前先生からもらっていた「非常時の処置に関する同意書」を母と確認しながら、マスク型呼吸補助の項目以外はすべて「処置しない」にチェックをして署名した。

母が息を引き取るまであと11日