【父の闘病記】全ては右肩の激痛から始まった(1)

【父の闘病記】全ては右肩の激痛から始まった(1)

2017-10-18
全然関係ない話

今日は「ワタシのお気に入り」からちょっと外れて全然関係ない「父が病気になったときのこと」を書いてみようと思います。

昭和一桁生まれの「健康優良ジジィ」だった父の入院は、「右肩の激痛」というなんとも不可思議な症状がきっかけだったので、記録としてブログに残しておこうと思い立ちました。

あ…、ちなみに父は今現在、不死鳥の様に蘇り元気になってます。

父の既往歴(ってか「年相応」の健康体)

我が家の父は昭和一桁生まれで、これまでも大きなケガや病気もしたことがなく筋金入りの「健康優良ジジィ」でありました。

これまでの通院歴といえば、高血圧・高尿酸血症くらい。

自宅から徒歩5分のかかりつけ胃腸科内科に定期的に通って何でも相談し、食事の量を少しだけ減らしたり、ウォーキングしたりの自己メンテナンスは積極的に行ってました。

ただ、元気ではありますが、さすがに80も後半に差し掛かりますと彼岸も近くなって参ります…。

なので「長寿祝い(沖縄ではトゥシビー:生年祝といいます)」でもやろうか?と家族で相談し、2017年4月に7人家族が数十年ぶりに集まって食事会を行ったばかりでした。

父の問題点:痛みにニブイ

唐突ですが、ウチの父は「痛みにニブイ」のです。日曜大工でケガをして、どこからか流血していても全く気付いてない鈍感っぷりです。

だいぶ昔に胆石になる前段階「胆泥」で入院したことがあるのですが、その時の主訴は…

「なんか。変。」

「…。」

結局「なんか、変」ではなんとなく病院にも行きづらく、いよいよキツイ!(それでも「痛い」とは言わない。父よ、なぜなのか…?)ってなった時は年末になってしまっていて、救急外来受診となった経緯があります。

「問題のその日」父は九州旅行に出かけていました。

「問題のその日」父は弟(私の叔父)と一緒に九州へ旅行に行っていました。

叔父の方からありがたくも「一緒に行こう」と誘われて、父はいそいそと出かけていったのでした。

後日談で父は、「そういえば旅行に誘われた時、なんとなく乗り気がしなかった」と。(←ひどいヤツだ…)

沖縄から鹿児島へ飛んで、観光しながら九州新幹線で熊本まで行き1泊。

翌朝熊本から福岡まで移動し、そこで観光1泊して沖縄に戻る、2泊3日の小旅行です。

九州旅行1泊目。食欲不振&なんだか具合が悪くて眠れない。

「問題のその日」の前日、せっかくの旅行なのに食欲が全くなく、なんだか具合が悪くて眠れなかったとのこと。(例のごとく「なんか、変。」

旅行で環境が変わったための「便秘」が原因でそうなったんではないか、と本人は思っていたようです。

叔父に救急病院へ行こうと促されても頑として聞かず…。

叔父がコンビニで買ってきてくれた薬も飲まず…。

でも不快のあまり癇癪を起こして当たり散らす…といったまーなんとも困った病人だったようです。

(叔父さん、ほんとゴメンナサイ…(´;ω;`))

結局こんな状態では旅行にならないから、と叔父さんとそのご家族がいろいろ奔走してくださり、予定を1日前倒しにして帰ってくることになりました。

眠れなくて七転八倒していた日の夜、実家の母からワタシに電話がかかってきて、「お父さんがこんな状況だから明日、一緒に空港まで迎えに行って欲しい」と出動命令があったのです。

翌日仕事が休みで良かった…。

九州旅行2日目、熊本の公園にて右肩の激痛発生。

なんとか朝を迎え、福岡に向けて出発する前、熊本城付近の公園を歩いていた時に父は突然「右肩をバットで殴られた」ような衝撃を受けたそうです。

その激痛のあと、全く歩けなくなり車椅子を借りての移動となったようです。この直後も現場(叔父)から母に電話があり、母からワタシに電話が…、いわゆる伝言ゲームですね。

なんせ、普段痛みに鈍すぎるほどニブイ父です。

自分の身に起こった状況説明が極めて下手なのです。

痛みや自分の身体の感覚についてのボキャブラリーが極めて乏しい。

「お父さんが、右肩に激痛が走って動けなくなったって。リュックが重くて右肩骨折したかもしれないって!

当時整形外科クリニックに勤めていたワタシからすると

「んな、バカな!(´・ω・`)」

としか言いようがありません。

でも状況は見えなし…。普段「イタイ」なんて単語を一言も発しない父がイタイというのだから、相当イタイに違いない…。

とはいえ、何かできるわけでもなく、飛行機で帰ってくるまで到着空港で待機となりました。

果たして父は一体どんな姿で帰還するのであろか…!「【父の闘病記】全ては右肩の激痛から始まった(2)」へつづく。